第二十話




秋から冬へ、移り変わろうとする季節の芳しいまどろみの中、青い空はどこまでも高く、風に揺れる木々の木陰は涼しげで、振り向いたその人の髪の色を白く輝かせたり、紅葉の色を映したり、微細に変化させていた。透き通った水のような清廉さを湛えた声が耳に流れ込む。彼は、独特の微笑を浮かべながら『好きだよ』と言った。  
瑞々しく垂れる前髪の隙間から、上目遣いの恥じらう瞳が覗く。その髪をそっとかきあげれば、彼の薄い青の瞳が柔らかい笑みの形になって俺を見つめる。
 

『何だよ……』

『ちゃんと顔見せて』

 
彼は、俺の言葉に反して軽くうつむき加減に視線を落とす。俺は今すぐその小さな顎を持ち上げてキスしたい思いで一杯だった。
彼の瞳を覗き込もうと少し顔を傾けたとき、微かな衝撃と共に甘い香りがふわりと広がる。
俺は彼を抱き締めていた。正確に言えば、彼が抱きついてきた。
柑橘系の甘美な匂い。これは彼の使っているシャンプー?

 
『なんか……恥ずかしいな』

『その割には大胆じゃん?』
 

意地悪、とでも言いたげに可憐な唇を尖らし、俺を睨み付けるその様はまさに少女漫画のヒロインそのもの……いや、これは誉め言葉じゃないな。
 

『何?』

『別に。どうもしない』

『何か言いたそう』

 
相変わらず俺をねめつけるその瞳は恥じらいが薄い膜となり、透明の光をともす。
その瞳がそっと閉じられる。長い睫毛がわななくように震えている。
俺は唇を近づける……。
 
 
 





「……ウェル。ロックウェル」

「んー……そんなに急ぐなって……ちゃんと順を追って……」 

 
突如頭に伝わった暴力的な衝撃にロックウェルは現実へと引き戻された。歪んだ視界の先には前の席のサダルが丸めた教科書を片手に不信感たっぷりの瞳でロックウェルを見つめている。
そうだ。今は朝のホームルーム前。昨日の夢のような出来事があまりに信じがたく、やたらと早く学校に来てしまったのだ。
 

「おはよー、ございます」

「ああ、おはよー……。って、お前、もうちょっと優しーい起こし方はできないわけ?」

「一刻を争う状態だったので」

「は?……って、うおっ!?(汗)」

 
ロックウェルの机には小さな水溜まりが今にも湖の大きさとなり机に置かれた教科書を侵食せんとしているところであった……。
 

「……汚ね(哀れみの目)」

「え、何? サダル君、今暴言吐いた?(汗)」

「いいえ、何も言ってません」

「……あのなぁ、イケメンのヨダレなんて崇められこそすれ、汚い呼ばわりされるなんてもっての外……」


下敷きで水溜りをそっと床に掃けようとした(←最低)ロックウェルのもとに、軽い足取りが駆け寄ってきた。まさにその人は、ロックウェルの夢に出てきた彼、そしてロックウェルを視界に捉えたその瞳は夢の中で見たよりもっともっと輝かしく……


「おっすーロックウェル。うわっ汚ね!(汗)」

 
元来綺麗好きのフレデリックは分かりやすく数歩のけぞり、速攻で自分の席へ向かっていった。
 

「ははは……死のう(涙)」 

「わー!ロックウェル!!(汗)」

 
ベランダの手すりに身を乗り出したロックウェルは寸でのところでサダルに助けられたのであった。









「ほら、次体育館ですよ。行きましょう」

「うぅ……。人生で初めて汚いって言われた……」

「汚くなんかないです。私、あとでフレデリックに言っておきます。イケメンのヨダレは崇められこそすれ決して」

「あーーー余計なフォローすんな!!(汗) ……あれ? っていうかフレデリックは?」

「ロベルト達と先に行っちゃいましたよ」

「あー確実に嫌われた……(ズーーーン)」

「めんどくせ。準備当番だから先に行ってるって言ってましたよ」

「あれ? 君また暴言吐いた?(汗) 俺の気のせい?(滝汗)」







ピ―――ッ

体育館に笛の音が響きわたる。
手にしていたバスケットボールを、狙いを定めてボール籠に投げ入れたロベルトに、フレデリックが駆け寄った。


「ナーイス」

「おう、お疲れー」


体育館の隅に置いてあったタオルを取りに行き、額の汗を拭う。前半戦が終わり、開け放したギャラリーの窓から流れ込んでくる秋風が気持ちよい。生徒たちは直接にその恩恵を受けようと体育館の重たい扉を開けて続々と外へ休憩に出る。


「あっつー……ロベルト、水飲み行かない?」

「おう。あれ? ロックウェルは?」


ロベルトは辺りを見渡す。が、彼の姿は見えない。


「なんか、1年の女の子達に囲まれてた」


少しの間をおいてフレデリックが言った。フレデリックとしてはおもしろくないことだろうに、彼はいたって表情を変えず、淡々と「どうする?」と聞く。タオルで首元を拭きながら、ロベルトは外の給水機を顎で示し、先に行こうと合図をした。








――その頃、体育館横の倉庫にて。


「ロックウェルさん、突然呼び出したりしてごめんなさい。私は1年2組の飛燕って言います。この子は美雨」

「はあ……どーも」


フレデリックの言葉通り、ロックウェルは女子生徒二人に囲まれていいた。が、どうも様子がおかしい。単に群がっているというわけではないらしい。


「ロックウェルさん、この子の気持ち、聞いてあげてください」


活発そうな女子生徒がもう一人の女子生徒の肩を叩き、ほら、美雨、とロックウェルの前に促す。
おずおずと進み出てきた美雨と呼ばれた少女は気の強そうな顔をしている割に、かなりの恥ずかしがり屋らしい。……が、制服をド派手な着物風にアレンジしている辺り、一筋縄ではいかなさそうである。
少女は意を決したように、紅くなった顔を上げてロックウェルを真っ直ぐ見つめた。見つめた、というより、睨んだと言った方が適切なほどの視線の強さで。


「ロックウェル先輩……私、ずっと好きだったんです!」


さすがのロックウェルも固まった。
顔も名前も知らない女の子に告白されたことは過去に数回経験がある。だが、こんな風に強気に、というかむしろ怒っている風に告白されたのは初めてのことであった。
「俺、なんか悪いことしたか?」と過去の行いを振り返ってみるも思い当たる節はない。そもそも何かしてしまったのなら顔くらい覚えているはずだ。


「えっと……気持ちは嬉しいけど……俺あんたが誰かすら……」

「……フレデリック先輩のこと!!!」




………………。



「ええーーーーそっち!!??(汗)」


「この子、ずっとフレデリックさんのこと想ってて。1か月前から」


飛燕が説明を加えた。……しかし一カ月とはまた微妙な期間である。


「でも先日の文化祭の日……ロックウェルさんとフレデリックさんが、その……キスしてたって噂があって」


ロックウェルはわかりやすく目をそらした。
恋人とはいっても、男同士である。話す感じからすると、彼女らはその辺に寛容なようだが、やはり公には隠しておいた方がいいだろう。フレデリックのためにも。
飛燕は答えないロックウェルに詰め寄った。


「それっ……本当なんですか?」

「飛燕、もういいよ、やめてよ……」

「えっと……そのー(汗)」

「ロックウェルさん、はっきり言ってやってください! そしたらこの子諦められますから! こないだまでは蘭先生が好きだったんですけど、霧先生といい感じと知って速攻でフレデリック先輩に乗り換えた女ですから!(きっぱり)」

「君本当に友達?(汗)」

「ロックウェル先輩、私、ただフレデリック先輩がイケメンだからって好きになったわけじゃ、ないわ。彼は……とても、優しかった」

「?」







――その日はひどい雨だった。たまたま委員会の仕事が長引き、美雨が昇降口に降りてきたときには視界を埋める雨粒の中を数人の男子生徒が駆けていったきり、ほとんどの生徒は帰宅してしまっていた。
 

「うっそ……傘忘れた」

 
駅まで走って凌げるような雨ではない。昇降口で美雨は一人立ちつくした。運悪く、知り合いもとっくに帰ってしまっている。
 

「職員室行けば貸してくれるかな……」

 
そう思い立って後ろを振り返ったとき。
 

ドンッ☆

 
「きゃっ…!?」

「っと……わりぃ、大丈夫?」

 
そこに立っていたのは額にかかる流れる金髪が悩ましい、今までお目にかかったことがないような美青年であった。
 

「あ、大丈夫、です……」


青年は微笑とともにごめんな、ともう一度謝り、自分の下駄箱に向かおうとしたが、何を思い立ったか再び美雨に振り返った。


「……そんなとこつったって、もしかして傘忘れたの?」

 
青年が、美雨に歩み寄る。あまりに綺麗な顔立ちに、美雨は目を合わせられない。
 

「ないんだよね? 俺の、貸してやるよ。ビニ傘だけど」

「えっそんな、大丈夫です。だってすごい雨ですよ!」

「いーって。俺は連れがいるし。ほら」

 
そういうと美青年は傘を美雨に押し付け、自分は靴を履き、校門に向かおうとした。校門のところでは確かに黒い傘を差した誰かが彼を待っているようだ。
 

「あ、あのっ」
 

青年は片手をあげて美雨に「いいって」と示し、友達のところへ早足で向かう。青年よりもさらに背の高い黒髪の男子生徒。彼を待っていたのはかの有名な生徒会長だった。二人はしばらく校門で話しこんでいた。
 

白のビニール傘の枝を握りしめ、美雨は彼らの横を足早に過ぎていった。赤くなった頬を見られないよう、傾けた傘で隠しながら。

通りすがり際、『フレデリック』、生徒会長が青年にそう呼び掛けたのを耳にした。
 

「フレデリック…先輩」


その言葉の響きを噛みしめるように口にした。途端、胸の高鳴りが激しくなり、彼らの視界に入らないところまで急いで駆け抜けた。





「――そんなことがあってから、私はフレデリック先輩が忘れられなくて……」

「……いや、それはだな……俺の想像するに……」


(以下、ロックウェルの妄想)


校門にて――


『いくぞ、フレデリック。……なんだ、お前、傘ないのか』

『忘れちゃいました……(てへ★)』

『こんな雨の日に忘れるか?普通。……ったく、仕方ないやつだな。ほら、もっとこっち来い。肩が濡れてる』

『先輩……///』

『……俺の家近いから、しばらく雨宿りしていくか』

『でもそんな……ご迷惑では』

『それとも、お前の家まで送ってほしい? 言っとくけど、俺はこんな雨の中お前を一人で帰らせるつもりないからな』

『……っ(赤面)じゃあ、お邪魔します……』

『ふん、素直じゃないな、全く』

『先輩の、意地悪……///』


そして二人は肩を寄せ合い住宅街へと姿を消した――。



(――妄想終了)





「……あンの変態エロ会長――――!!!!(怒)」

「ロックウェルさんが壊れた……(汗)」

「許せねぇ……ったく油断も隙もない……が、しかし! 今や俺の方が奴より立場は上! なんたって、俺はもう正式に彼氏なんだからな!! 次会った時には正々堂々と……」

「えと……あの、つまり、やっぱり付き合ってるんですか?」

「…………」	

「…………」